観光
主郭からは英彦山も一望できる。
小石原交差点の北方150mの丘陵上にあります。戦国時代、秋月氏の家臣であったと思われる宝珠山山城守の居城と伝えられています。慶長5年(1600)に、黒田長政が関ヶ原の戦いの功により、豊前中津から筑前に入国した後は黒田家の支配下に入ります。慶長6年(1601)には、国境を守るために筑前六端城と呼ばれる六つの出城を設け、重臣が配置されましたが、その一つ松尾城には黒田(中間)六郎右衛門統胤(むねたね)が城主となります。その後、元和元年(1615)に幕府の一国一城令により廃城となりました。
主郭は石垣と土塁が巡らされ、西側に虎口(こぐち)が造られています。斜面には戦国末期の遺構と思われる畝状竪堀が北側に13本と南側に11本、東側の尾根には堀切が3本残っています。現在は、虎口・横矢・櫓台等の石垣を一部復元整備しています。