観光
仇討の悲しい伝説を今に残す。
崖面に「龕(がん)」と呼ばれる長方形にくり貫かれた五つの穴があり、中央に位置する幅120cm、奥行き30cm龕には、奥に釈迦如来(しゃかにょらい)、文殊菩薩(もんじゅぼさつ)、普賢菩薩(ふげんぼさつ)の釈迦三尊像、両側壁に二体の僧像を配しています。龕の左右には二体一対の尊像と胎蔵界大日如来や薬師如来、阿弥陀三尊を表す梵字種字が彫られています。その他の龕は、五輪塔や供物等を置くためのものかと思われます。左側の梵字種字の間には、「正和」(しょうわ:1312~1317)の紀年銘が確認でき、その造りからも鎌倉時代後半から南北朝期のものと考えられています。
~史跡に伝わる悲しい伝説~
刀鍛冶(刀を作る職人)の太郎・次郎の兄弟は、父の敵を捜すために福井村に来て刀鍛冶に励んでいました。そこで敵と遭遇して仇討を挑み、返り討ちにあい殺されてしまいました。その子孫が太郎・次郎の供養のためにこの磨崖仏を彫ったとされています。
山伏の厳しい修行の跡を辿る
次郎坊・太郎坊をほんの少し南下すると、西側の崖の上に不動明王が見えてきます。この不動明王像は、高さ1.8m・幅1.2mの大きなものです。
不動明王は、修験道の崇拝対象で、ここも山伏たちの修行場の一つであったものと思われます。東峰村が山伏たちの修行場であったことが偲ばれる場所です。