小石原焼こいしわらやき

生活雑器としての道を歩みながら、用と美を確立した小石原焼。
素朴で温かい持味を出す、飛び鉋、刷毛目、櫛目、指猫、流し掛け、打掛けなどの技法が生きています。
多くの窯元は、そんな伝統の技を大切に受け継ぎながら、小石原焼の発展を願ってさらに新しい作風の確立をめざしています。

現在の小石原焼に至るまで

 天和2年(1682)、黒田3代藩主・光之が招いた肥前・伊万里の陶工が中国風の磁器を伝え、既に小石原にあった髙取焼と交流することで、小石原焼が形成されました。
 大正~昭和のはじめ頃までは、共同窯を使って大型の甕・鉢・皿・すり鉢などを作っていましたが、民陶ブームが到来したことで共同窯は消え、個人窯元が増えました。そこで暮らしの中で使われる生活の器づくりが活発化していったのです。

名声を得た小石原焼

 昭和33年(1958)ブリュッセルで開かれた万国博覧会日本館第3部出品でのグランプリ受賞、昭和36年(1961)の日本工芸館小石原分館(現在の小石原工芸館)の設立も小石原焼の発展に弾みをつけました。 そして、昭和50年(1975)には陶磁器では日本初となる伝統的工芸品に指定されました。

小石原焼の技法

飛び鉋(とびかんな)

飛び鉋の皿

化粧土をかけた器をろくろにのせ、回転させながら作品の表面に湾曲したかんなを当てます。 かんなが当たったところだけが削られて、模様がうまれます。

刷毛目(はけめ)

刷毛目の椀

化粧土をかけてすぐ、ろくろを回転させながら刷毛を当てて、模様をつけます。

櫛目(くしめ)

櫛目の湯呑み

化粧土をかけてすぐ、先端が多数に別れた櫛状の道具で波状線などの模様をつけます。

流し掛け(ながしかけ)

流し掛けの皿

ろくろをゆっくりと回転させながら、作品の表面に釉薬などを等間隔で流していきます。

打掛け(うちかけ)

打掛けの碗

成形した作品に、釉薬を盃などに入れて少しずつ浴び掛ける技法です。

指描(ゆびかき)

指描の器

化粧土をかけて、乾かないうちにろくろを回転させながら指で模様をつけます。

高取焼たかとりやき

東峰村には髙取焼の技法を継承する窯元が数戸あり、「遠州髙取」の風格を今に伝え、「綺麗さび」の世界を展開しています。 精密な工程、華麗な釉薬、繊細な生地味。特に鉄・藁灰・木灰・長石を原料とし、微妙な調合で作られた釉薬を駆使して焼成される茶陶類は、気品に満ちあふれています。

髙取焼きのルーツ

 豊臣秀吉の2度にわたる朝鮮出兵(文禄・慶長の役)で、西国大名たちは、多数の朝鮮人陶工を連れ帰り、各地に焼き物の窯を開かせました。 福岡藩主黒田長政もその一人で、連れ帰った陶工八山(日本名・髙取八蔵)に直方市鷹取山の麗に窯を築かせたのが髙取焼の始まりです。

 その後、慶長19年(1614)に直方市・内ヶ磯に、寛永元年(1624)年に山田市・唐人谷に、寛永7年(1630)に飯塚市・白旗山(現・飯塚市幸袋)に窯を移します。 この頃、茶人小堀遠州の指導を受け「遠州髙取」様式がほぼ完成します。
 八蔵はこの地で亡くなり、二代目八蔵が寛文5年(1665)に小石原村鼓釜床に開窯。 元禄年中(1688~1704)に早良郡田嶋に移窯すると共に、八蔵は鼓から通勤しながら御用を務めました。
 その後明治維新まで髙取家は代々福岡藩窯頭取の職務を務めています。