山村文化交流の郷 いぶき館

東峰村の交流の場

「いぶき館」は、筑豊の石炭王・伊藤伝右衛門が、現在の飯塚市にあった邸宅の一部を宝珠山紙屋に移築して造った、宝珠山炭坑幹部社員の社交場「炭坑クラブ」を復元した建物です。

宝珠山炭坑クラブ
宝珠山炭坑クラブ(昭和10年)
伊藤伝右衛門が宝珠山炭鉱を買収し、本格的な炭鉱開発を始めたのは、明治45年(1912)のことでした。 昭和38年(1963)に炭坑は閉山しましたが、その後「炭坑クラブ」は現在地に移築され、料理旅館「ほうしゅ山荘」として平成12年(2000)まで営業していました。 「いぶき館」は炭鉱でにぎわった大正・昭和時代から現代までの宝珠山の歴史を見守ってきた建物なのです。

現在は、修験の精神文化や炭鉱時代の歴史展示などを中心とした交流の場となっています。

 伊藤伝右衛門

伊藤伝右衛門 万延元年(1860年)、現在の飯塚市に生まれた伊藤伝右衛門は、苦労の末、石炭事業を展開し、筑豊地域で貝島・麻生・安川らの御三家に並ぶ事業家として成功を収めました。
事業で得た巨万の富を、嘉穂郡立技芸女学校の創設、伊藤育英会の創設など、教育・文化事業に注ぎ、地域社会に還元しました。 また、嘉穂銀行や十七銀行の取締役として、そして幸袋工作所の創業者として地元の産業・経済の発展に尽力し、衆議院議員に当選してからは、遠賀川の改修工事を実現させました。

宝珠山炭鉱では、日本一と言われた炭鉱住宅を整備し、清流を汚濁しないようにと浄化装置を設定しました。 伝右衛門が経営していた間は、1名の死亡事故も無い稀に見る優良炭鉱でした。
人間味あふれ、地元の人々から慕われた伝右衛門は昭和22年(1947年)、84歳の生涯を閉じました。

 柳原白蓮

伊藤伝右衛門 明治18年(1885年)、伯爵家に生を受けました。
佐佐木信綱の門下に入り、和歌の才能を伸ばします。
明治44年(1911年)、伊藤伝右衛門のもとに嫁ぎました。 結婚後、次々に和歌を発表し、その美しさと才能で「筑紫の女王」と謳われました。

「赤銅御殿」と呼ばれた福岡や別府の別邸には、白蓮を訪ねる文化人たちと、交友を深めていました。
そうした中で、伝右衛門の資金援助を受けて、大正4年(1915年)に第1歌集「踏絵」、大正8年(1919年)には詩集「几張のかげ」・歌集「幻の華」・戯曲「指髪外道」を刊行しています。

いぶき館配置図

 展示棟

●テーマ展示
~神々の棲む山~

九州修験道の拠点・英彦山と、古くから関わりの深いこの地域に、現在も伝えられえている祭や資料を展示し、山とともに生きた修験の精神文化を深求するコーナーです。

●映像シアター

修験をテーマとした「神々の棲む山」、宝珠山炭坑の労働者の証言をもとに構成した「力の山に分け入る人々」の映像を上映しています。

●テーマ展示
~力の山に分け入る人々~

明治時代末期から本格的な炭坑開発が始まり、宝珠山村は炭鉱町としての時代を迎えました。 小さな村にもたらされた活力と、人々のすがた、そして未来へのメッセージを読み解いていきます。

 交流棟(1階・2階)

●畳の間:炭鉱の歴史紹介

この建物が「宝珠山炭坑クラブ」として使われていた時代の石炭産業と社会について、実物展示やグラフィックパネルで紹介しています。

●映像コーナー

「山村サロン文化の主役たち」をテーマに、宝珠山村に炭坑を開いた伊藤伝右衛門をはじめとした当時の経営者や、産業、社会、文化を伝える映像を上映しています。

●ショップ

「いぶき館」をテーマにデザインされた小物やステーショナリーなど、オリジナルのミュージアムグッズを中心に販売しています。

●事務室

来訪者へのガイド等も行います。

所在地福岡県朝倉郡東峰村大字福井2296-1

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アクセス「塔の元」交差点から国道211号線を宝珠山方面へ下り、車で約4分
駐車場有り
営業時間9:00~17:00
定休日毎週火曜日(火曜が祝日の場合は翌日)、年末年始
料金大人300円(250円)、小中高生150円(130円)
( )は15人以上の団体料金です。
お問合せ先TEL 0946-72-2232 / FAX 0946-72-2252